やや旧聞になりますが先月9月8日(日)に開催された「英語史ライヴ2024」に現地参加してきましたのでそのふりかえり。
当日まで
この1年ほど聴いたり聴かなかったりしてきた Voicy の『英語の語源が身につくラジオ (heldio)』で初めての12時間連続放送のイベントを敢行、しかも有料会員(helwa リスナー)は放送にオンサイトで立ち会えるときいて、初物は逃したくないとすかさず有料会員登録のうえエントリー。
それまでリスナーとしては不熱心でコメント欄でのプレゼンスもなく、いきなり現地参加しては常連の方々に「この人だれ?」と不審がられないかと心配になったので、エントリーしてから当日までの間はそれまでよりも多めにコメントしたりしていました。あと helwa コンテンツ for 「英語史ライヴ2024」にも寄稿したり。
helwa コンテンツ for 「英語史ライヴ2024」反省
基本的に反省が多い。
執筆にあたって立てた方針
- 自分の目下の守備範囲たるドイツ語から、ドイツ語の語源をネタにする
- とはいえ寄稿先は英語をテーマにしたコミュニティなので、ドイツ語より英語に関心のある読者におもしろいように書かないといけない
- 初めて混ざるコミュニティなので、自分が日ごろどういう関心を持っているのかだれも知らない。ネタの本筋だけでなく「自分がなぜそれに関心を持っているのか」背景や動機を書こう
- ここまでの事項で若干プレッシャーを感じてきたので、余計な力を抜くためのポイントとして体裁にはこだわらない。「レポート」でも「論文」でもなく「コンテンツ」なんだから。敬体でカジュアルに書く。文献リストを省いたところで怒られる身分でもない
KPT でふりかえり
Keep うまくいったので続けていきたいこと
- 張り込んで買った Duden の7巻を活用するいい機会になった。人に紹介する目的を持ったことで、それまでの個人的な拾い読みより緊張感をもって精読できた
- そもそもまとまった文章をひさしぶりに書いた。かつて仕事で定期的にブログ記事を書いていたときに体得した勘所をちょっと思い出せた
Problem うまくいかなかったこと
- 「自分のことをだれも知らないところに文章を投稿する」にあたり「自分の背景をちゃんと説明しよう」と力んだ結果、「エモい記事」感というかキモい自分語りに偏りすぎた。結果的にそれは読者の読みたいことではなかったんじゃないだろうか
- 読者層が想定できなかった。「このことは説明が必要なのか、それとも既知として進んでいいのか」「この話を読者は面白がってくれるだろうか」といったことがまったく見えず、想定読者のペルソナは終止ぶれていた
- そんなこんなで冗長だった
- 記事中で言及したラテン語の単語 caupōnor について、「研究社『羅和辞典』に載っていない」と誤ったことを書いてあとで修正した。辞書形の語尾が -or で終わる「形式受動相動詞」のことを知らないせいで、辞書がうまく引けていなかった
Try 今後やってみたいこと
- 必要とあらばまとまった文章を書けるだけの筋力を保ちたい。定期的に文章を書く機会をもとう(たとえばこの記事)
- 英語史ライヴ2024参加をへて、コミュニティの雰囲気はちょっとわかってきた。読み手の趣向を想定しつつ、ネタのよさを信じて締まった文章を書こう
- 「コンテンツ」は A4 で3枚まで
- ドイツ語史の本を買って読む。堀田先生にも Discord サーバー "helville" にて今後の参考情報をいただいている
全体の所感、ふりかえり
対面で人から話を聴くというのはラジオにない発見があるもので、それまで得られなかった気づきがいろいろとありました。
AI 時代は英語史の時代では
番組内のトークや参加者の雑談から「英語史はマイナー」という趣旨の発言がしばしば聞かれて印象的でした。英語学になんの足場もないままいきなり heldio を聴いている自分からするとむしろ「英語学に英語史以外何があるのかよくわかってない」くらいで。
懇親会でまさにゃんさんに「英語史って英語学のなかではマイナーなんですか?だとすると、英語学科とか英文学科の学生にとって逆に人気の分野ってなんなんでしょう」とうかがってみたところ、「最近だと第二言語習得とか。英語史はアカデミックポストも減る傾向にある」とのこと。
そこから思い出されたのは、当日放送の番組でもテーマの一つになっていた「(とくに生成)AI と語学」についての話題。第二言語習得って現状なんだかビジネスには結びつきやすそうだけれど、AI の進展で語学学習の重要性がもし下がるなら、それらビジネスの市場もしぼんでいくことにならないか。
それにひきかえ英語史はどうかというと、人力で研究しないと進展させられない領域がまだ残っていそう。たとえば極端なところでは「新たな古英語文献を見つけてくる」ことは AI にはきっとできない。「歴史的できごとに対して新しい解釈・受け止めを提示する」みたいなことは、それらしい論稿を AI に量産させることはできそうだけれど、やったところでどれに価値があるかは人間側しだいかも。そしていずれにせよ歴史を研究する動機は語学学習とは独立なものだろうから、人が語学を修める必要性から解放されても歴史研究の営み・成果には引き合いがあり続けるんじゃなかろうか。
そんなわけで AI 時代はきっと英語史の時代であり、日本の各大学は英語史のアカデミックポストを拡充すべきだし、英語史の授業を毎年欠かさず開講すべき。(ちなみにわたしは今後も語学が重要だと思っているので、第二言語習得業界のみなさまのことも等しく応援しています。わたしのドイツ語語彙が簡単に増える方法を開発してくださいお願いします助けてください。)
ドイツ語学習のために古英語文法を学ぼう
おなじく懇親会にて、 helwa リスナーのぷりっつさんに「ドイツ語をやっているならドイツ語に似ている古英語もやるべき」と突っ込まれ、たしかにそうだなと思いまさにゃんさんに何を読めばいいか相談しました。そして、まさにゃんさんに当日すすめられた Baker "Introduction To Old English" と、まさにゃんさんが自身の note 記事でも引用している Sweet "Anglo-Saxon Primer" (に日本語注がついた『古代英語文法入門』) を購入。
(本稿執筆時点で将来公開されるであろう)heldio のいずれかの放送でわたしが発言しているとおり、現代ドイツ語にあって現代英語にない nehmen が古英語には niman として存在していた(そして現代英語の numb は niman からの派生!)という話を聴いたのが継続的に heldio を聴くようになったきっかけで、以降いかにも古英語に関心がある雰囲気を装ってきたし helwa コンテンツもそんな体裁で書きましたが、実際のところ古英語との接点はこれまでのところ heldio の聞きかじりだけでした。順を追って古英語を学びドイツ語と英語の接点への理解を深めることで、ドイツ語学習者としてももっと自分を鍛えることができれば…