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勉強したることども

『英語語源ハンドブック』にこじつけて学ぶドイツ語 #2 baby

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HEE こと『英語語源ハンドブック』にこじつけてドイツ語の語源その他について書くシリーズ。

前:#1 a, an

第2回は baby から。

baby はフランス語やイタリア語など多くの言語で見られるが、これは英語から借用されたものである。

たしかにドイツ語にも das Baby 「赤ちゃん」がある(ただし母音は /e:/ となる。ドイツ語には二重母音 /ei/ がないからか?)。これも英語からの借用だろうか。 Duden 語源辞典を引いてみる。

Das Wort wurde in der ersten Hälfe des 19. Jahrhunderts aus gleichbedeutend englisch baby entlehnt, das wahrscheinlich aus der Lallsprache der Kinder stammt (vergleiche Bube und babbeln).

19世紀に英語から借りたとのこと。HEE の指摘のとおりだった。

そして、der Bube 「ごろつき、悪党、ジャック(トランプ)」や babbeln 「ぺちゃくちゃしゃべる」も英語 baby と同様 /ba/ に由来するのだという。baby を借りる前から、「赤子や野蛮人など言葉を知らない人間は /ba/ と発する」という発想はひろく共通していたようだ。そういえばバルバロイなんていうのもある。

  • gleichbedeutend: 同義の
  • aus et3 entlehnen: et3(語彙) を借用する
  • die Lallsprache: 喃語

なおドイツ語 babbeln は HEE にも言及のある英語 babble 「ぺちゃくちゃしゃべる」と見るからに対応しているけれど、ドイツ語側の初出は16世紀、英語側の初出は1200年以前という。ゲルマン祖語に共通の語源を持っているわけではないみたい。

ところで英語から baby を借りる前にドイツ語で「赤ちゃん」のことはどう呼んだのだろうか。アクセス和独辞典で現代の類義語を探すと der Säugling 「乳児」が見つかった。Duden によれば初出は14世紀という(が ChatGPT は古高ドイツ語にもあったと主張していた)。

Säugling は動詞 saugen 「吸う」に指小辞 -ling がついたもので日本語「乳飲み子」と似ている。また saugen は英語 suck 「吸う」と同根。そういえば sucker も「乳児」か。

手元の辞書で追いかけられたのは14世紀まで。もっと古い、古高ドイツ語やゲルマン祖語に「赤ちゃん」はなかったのか、と ChatGPT に尋ねてみた。

まず古高ドイツ語には現代の der Säugling にあたる sūglinc があったのだという(Duden は14世紀が初出というけれど)。また現代の das Kind 「子ども」をもって、乳児と幼児を区別せずに呼んでいたらしい。こういう区別ってけっこう近代的な発想だったのかしら。ゲルマン祖語については最後に。

ChatGPT の教えに従って、Duden で Kind を引いた。

Mittelhochdeutsch kint, althochdeutsch, altsächsisch kind und niederländisch kind gehen auf das substantivierte Partizip Perfekt germanisch * kénþa- »gezeugt, geboren« zurück. Eng verwandt sind die nordische Wortgruppe um altisländisch kind »Geschlecht, Stamm« und englisch kind »Geschlecht, Gattung, Art« sowie die ablautende Bildung altisländisch kundr »Sohn; Verwandter«. Die germanische Wortgruppe gehört mit verwandten Bildungen in anderen indogermanischen Sprachen zu der Wurzel * g̑en(ə)- »gebären, erzeugen«, vergleiche zum Beispiel altindisch jātá- »geboren«, »Geschlecht, Art«, lateinisch nātus (altlateinisch gnātus) »geboren«, »Sohn«, »Tochter«, natio »Geburt, (Er)zeugung; Geschlecht, Stamm« (Nation), natura »Geburt; angeborene Beschaffenheit, Wesen« (Natur), praegnas »schwanger, trächtig« (prägnant). Zu der indogermanischen Wurzel * g̑en(ə)- »gebären, erzeugen« gehören ferner die germanische Wortgruppe von König (»Mann aus vornehmem Geschlecht«) und aus anderen indogermanischen Sprachen, zum Beispiel lateinisch gens »Geschlecht, Sippe« und genus »Geschlecht, Art, Gattung« (siehe die weitverzweigte Wortgruppe um Genus).

あれ、ドイツ語 Kind って英語 kid とはつながってなかったんだ。むしろ kind 「種類、親切な」や king 「王」とつながっていた。ゲルマン祖語 *g̑en(ə)- 「生む」からずいぶん意味が広がったものである。

  • 生まれた人が「子ども」 → ドイツ語 Kind
  • 生まれ持っての性質が「種類」 → 英語 kind
  • よい家柄に生まれたような性格が「親切な」 → 英語 kind
  • 王家に生まれた人が「王」 → ドイツ語 König/Königin, 英語 king

もはや生まれるものならなんでもいいのでは。

  • die ablautende Bildung: 母音交替による語形成
  • angeborene Beschaffenheit: 生来の性質

なお英語 kid の原義は KDEE こと英語語源辞典にもあるとおり「子ヤギ」。ドイツ語側の同根語は das Kitz でこれまた「子ヤギ」。

次:#3 cake

余談:ゲルマン祖語 *barną 「赤ちゃん」について

ChatGPT いわく、ゲルマン祖語には *barną 「赤ちゃん」という語があったという。この語は英語では古英語期までに廃れたらしい。

じゃあドイツ語には残ってるんですか、と聞き返すと、思いのほか細かい話を返してきた。もはや裏はとりきれないけれど、おもしろかったのでそのまま貼っておく:

ChatGPT による解説

はい、残ってはいますが、現代ドイツ語の共通語ではもう使われていません。 ただし 方言・地名・姓 の中にはしっかり痕跡が残っています。

1. 方言での barn の存続

  • 南ドイツ・オーストリア・スイスの一部方言で、Bua(少年)や Bar / Bärn(子)などが barną の子孫とされます。
  • アレマン語・バイエルン語圏では、「子ども」を Bärn / Bärnli のように呼ぶ地域がある。

2. 地名・姓に残る例

  • スイスの都市名 Bern は古高ドイツ語の bern(熊)由来とされる説が有力ですが、一部古語の barn(子)由来説もある。
  • ドイツ語圏の姓 Barnert, Barnhusen なども barn(子)に由来する場合があります。

3. 標準語での置き換え

  • 標準ドイツ語では早くから Kindkinþą 系)が主流化し、barną 系は共通語から消えました。
  • 北欧諸語(barn)、オランダ語(kind と並行して barn 系はほぼ消失)と比べても、ドイツ語はこの語を早く失ったほうです。

ChatGPT 解説への補足

上記に続けてさらに、ゲルマン祖語 *barną が衰退し方言にのみ残った流れが一目でわかる地図をつくってくれるというので、それはすごいですねとお願いしてみた。お言葉に甘えた形とはいえ、ちょっと無理をさせたかもしれない。

ほか引用しなかったところで、この語は Bär 「熊」と混同されやすいので廃れた、との発言もあった。眉唾な、しかしいかにもだれかが唱えていそうな説ではある。

2025-08-15 追記

ゲルマン祖語 *barną についてのこの余談が、慶應義塾大学の堀田隆一先生のブログに取り上げられた。

#5954. 「子供」を意味する古英語 ''bearn'',現代スコットランド方言の ''bairn'' について --- ykagata さんのブログ記事より

英語史を学んでいると,ここでピンとくる.古英語で「子供;子孫」を意味する頻出語で中性名詞 bearn のことだ.OED によると,この語は中英語では主に barn として存続した(この語形には古ノルド語の同根語が関与している可能性がある)が,後の標準英語にはほとんど残らなかった.しかし,スコットランドでは bairn の形で歴史を通じて使用され続け,現代でも普通に用いられている.標準英語でも1700年以来,文学語として bairn がときに見られるが,これはスコットランド語法の借用と解釈するのがよさそうだ.

*barną は古英語には入らなかったと ChatGPT は言っていたけれど、少なくとも中英語、方言や文学語まで含めれば現代に至るまでちゃんと生き残っていたのだった。展開ありがとうございました。

そういえば、ChatGPT のいう「Barn は Bär との混同を避ける形で廃れた」との説を「眉唾」と思ったのも、堀田先生の以下の解説を見たからだったのをあとから思い出しました。同音異義衝突はまれ、かつ立証困難。

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