英語史研究会第34回大会に一般人が参加した話

やや旧聞になりますが先月12日に開催された表題の学会に行ってきましたのでここにご報告申し上げます。なお、この記事は月刊 Helvillian 第8号(6月号)の特集「京都オフ会」に寄稿するものです。オフ会本編は学会の翌日13日に催されたわけですが、そちらについて書かれる方はほかにもいらっしゃいそうなのでわたしは別のニッチを占めることにします。
なんで行ったのか
主には対照言語史ラウンドテーブルがめあて。「ドイツ語ではこうなのが英語ではなぜこうなのか」的な話に興味があって、『言語の標準化を考える―日中英独仏「対照言語史」の試み』も英語とドイツ語のところをちまちま読んだりしていた。
また、ドイツ語史の高田博行先生のしゃべりを生でみたいというドイツ語ファン的ミーハー心もあった。
もっと細かいところでは、高校受験期を京都で過ごしたわりに京大ってそういえば一度も行ったことなかったな、ちょっとみておこうかしら、と思ったのもある。いまは、あるいは高度な進学校ではどうだか知らないけれど、少なくとも当時自分の周りで京大は「この世でいちばんえらい大学」だった。じゃあ東大はどうかというと、これはむしろテレビの向こうの世界の大学、いわば城南大学みたいなものだった、と思う。
英語史研究会第34回大会
研究発表
前半は研究発表が4件。
- ラテン語接頭辞 ad- に関する語源的綴字の広がり:ラテン語の参照から類推へ
- 二人称複数代名詞you allの文法化と語用論標識化について
- 20世紀・21世紀の英語における接続詞after節内の単純過去と過去完了について
- Data の「脱複数化」:ラテン・ギリシア複数形の共時的・通時的調査
あとでうかがったところでは、英語史研究会の研究発表は扱う時代が古いものほど先の出番になるとのこと。
専門家どうしのやり取りとあっていずれも展開が速い。最初は「来るところ間違えたかな」と面食らったけれど、気合を入れて集中すると大筋では理解可能なことが話されていることに気づく。「見えるぞ 私にも敵が見える」の気持ち。あるいは「これ進研ゼミもとい heldio でやったところだ」か。heldio で平易に語られている内容を継続的に取り込んでいると、こういう場面にもある程度適応できるようだった。改めて heldio は侮りがたい。
そして登壇者の若いことにも驚かされた。最年少の学部4年生(関西だから4回生か)の登壇者に3年生が質問をするシーンには、自分が学生のころの怠惰さを思い出して胸が痛くなった。学生の間、とうとう学会には一度も行かなかったな…いま思えばあれはほんとうによくなかった。
ラウンドテーブル
そして後半はお目当てのラウンドテーブル「語彙と文字の近代化―対照言語史の観点から―」。日本語・ドイツ語・フランス語・英語の各言語史の研究者が集ってみっちり討論されるもの…と思っていたら、その前にまずは個人の発表が入るという。全体で90分枠なので、じゃあ前置きの個人枠が合計30分で討論が60分とかなのかな、と思って発表を見守っているとみるみる時間が流れて行って、いよいよ討論というところですでに70分くらい使っていた。
討論部分、とくにその中で英語史の堀田隆一先生が高田博行先生に問うた「ドイツ語はなぜゲルマン本来語を守り続けたのか」はもっとじっくり聴きたかった…個人的にはこのひとネタで半日やっていただいてもよかったくらい(たぶんそれはもはや「英語史」研究会じゃないんだろうけど)。
そして後日発売された雑誌『ことばと文字』18号の特集はこのラウンドテーブルと連動していて、復習や補完のためこちらもコツコツ読んでいる。とくにドイツ語史の記事2本にはドイツ語をやる人にはけっこうびっくりしそうなことが書かれているので、ドイツ語史といわずともドイツ語やドイツに興味のある人にひろく読まれるといいなと思ってる。あと特集外のアルザス語の記事もアツい。
懇親会
実は今回懇親会にも申し込んでいた。これにはあまり深い考えがなくて、本編申し込みの「流れで」「なんとなく」エントリーしたのだった。本業の IT カンファレンスでも、初対面の人と話題を見つけられるかとかそもそも体力は続くのかとかいろいろ心配して懇親会には申し込んだり申し込まなかったりするのに。
研究者だらけの懇親会で一般人がひとりどう切り込めばいいのかさっぱりわからず「わたしなんでここに来たんだっけ」と途方に暮れたしフランス語の西山教行先生に「なんの研究をされてるんですか」と声をかけられて「いえなんの研究もしてないんです…」と絞り出すように答えたときには自分でもどうかしてると内心あきれたものですが最終的には有意義だったような気がしています。この話はちょっと長くなりそうなので項を改めることにします。